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【筆者名】
澤田耕治
【ご挨拶】
私は1984年4月にLONDONに赴任いたしました。その後、東京での生活よりもLONDONでの生活を選び今日に至っております。 外国で暮らす日本人として日本の良さや英国との違いを感じ取りながら日々暮らしています。
投稿にあたり、自分の生い立ちから紹介するのが日本の一般的な方法でしょうが、私は著名人でもありませんし、自慢できるほどの経験を重ねてきたわけではありません。30-40歳代で欧州各地でのビジネスを経験し、現在日系の企業に勤務している際立った能力や才能があるわけでもありません。
そんな私がこれまで経験したこと、遭遇した出来事や一つのテーマを中心にしてその時の状況や感想を紹介したい、と考え投稿いたします。
【テーマ】
① 英国での生活を通して思うこと。
② 日英比較論
③ 日本を外から見た感想。
④ 英国生活を振り返って思うこと。
第八回 メッチャ
先日、元プロ野球選手や芸能人が自分と同じ年齢の人のことを“同級生”と表現していた。よく話を聞いてみると単に同じ学年というだけで出身校も出身地も全く違う人のことであった。私の意味する同級生は、同じ学校でそれもクラスも一緒だったことがある人のことである。時代とともに言葉やその意味も変化する表れだろう。
よく耳にする言葉で、(めちゃくちゃの省略型と思うが)“めっちゃ” “やばい”などは本来の使い方が変化して、元はNEGATIVEな意味であったが今はPOSITIVEな意味に拡大しているように思う。“1mmも分からない”など新しい表現だろうが、どれくらい広まるか少し注目している。そんな中 “一寸先は闇”“一寸法師” “下駄箱” “さじ加減” “さじを投げる”などの表現も現存しているが、一寸が約3cmかなど考える必要もないし、今時下駄を履いた人を見かける機会は少ない。 さじとは言わずSPOONと言っている。だからといって、“3cm先は闇だ”、”SPOONを投げた“と直訳まではいかないまでも、何か違った表現が出てくるのかも知れない。余談だが、下駄箱ではなく靴箱という人も少なくない。
何年か前に日本語を正しく使おうというテレビ番組もあったが、最近はそのような番組もない。それくらい言葉や表現の変化が早く、かつ若者に浸透するのが早いという裏返しかも知れない。消えてしまった流行語もたくさんあると思うが。
また、昔の雑誌の表紙と比較すると、今のそれはものすごくCOLOURFULで色々な見出しが満載している。TV番組でも全般的に芸能人の喋り方が早口になったと感じる。さらに、時代劇の台詞使いも現代語に近いもので編成しているように思える。
100年前の日本人が現代の会話を聞いたらほとんど理解できないだろうし、100年後の会話を私たちがどれくらい理解できるか、非常に興味がある。私は、YOUTUBEなるものが出てきたときになるほど便利だと感心し今も良く視聴しているが、このTUBEの意味はすぐに理解できた。古いテレビを知っている者として若者へメッチャ自慢できた。あまり自慢にもならないか。似合わない使い方はやめておこう。
*六韜三略(りくとうさんりゃく)とは、人生を歩むうえで、また社会で生活していく上で、役に立つ教え。人生訓、処世術。中国の兵書、「六韜」と「三略」の併称。「六韜」は文・武・竜・虎・豹・犬の六巻があり、周の太公望呂尚の作とされている。「三略」は上巻、中巻、下巻の三巻があり、前漢の黄石公の作とされている。「韜」は剣袋や弓袋のこと、「略」は作戦や計略のこと。
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