著:内田美穂
蝶々さんを演じる中村恵理:自害する場面 The Royal Opera © ROH Ph by Tristram Kenton
Madama Butterfly at the Royal Opera House
プッチーニの傑作『蝶々夫人』(1904) は世界のオペラハウスが上演演目レパートリーとして欠かすことのできない人気オペラだが、弱い立場の日本人女性が性的搾取の的として描かれているのが西洋上位な「オリエンタリズム」[1]とみなされたり、イメージの独り歩きしている「ゲイシャ」の不適格な描写が「文化の盗用」[2]と言われたり、日本の話なのに登場人物たちを全て白人が演じるのは「ホワイトウォッシング」[3]だ、と非難されたり、と今日ではなにかと論争の的になりやすい。従って、どのオペラハウスも20世紀初頭のヨーロッパの視点から日本を眺めて創られたこのオペラを、21世紀の観客に向けて舞台化するために工夫している。ROHも例外ではなく、今シーズン、既存の『蝶々夫人』の作品を上演するにあたり、原作になるべく忠実でありながらも、日本文化や日本人に対して敬意を失わない、その方法をROHのスタッフ、学者、歌手、舞台関係者、アジアを代表する人物達から意見を集め、一年がかりで模索した。その結果、メーキャップ、衣装、そして歌手達の動きなどの細部が実際の日本文化になるべく近くなるよう研究された。
今回は初めて日本の動きの振り付けコンサルタントとして上村苑子(かみむら・そのこ)を起用し、リバイバル監督のダニエル・ドゥーナーと日本人独特の動きに気を配ったという。結果、登場人物の動きは細部にわたってとても日本的で、それはゴローの手の組み方とか、スズキの歩き方、お辞儀の仕方、蝶々さんの親戚の笑った時の手のかざし方などだ。この変化はもしかしたら日本人観客にしかわからないのかもしれないが、私は『蝶々夫人』を観ていて初めて歌手達の動きに違和感を持たなかった。また化粧ももちろん「イエローフェース」[4]ではなく、そして衣装や髪形も細部にこだわってリメイクしただけあって、極めて自然だった。一つだけ気になるところがあったとしたらそれは蝶々さんの自害の仕方である。女性は切腹ではなく首を掻き切って自害するのが本当だと思うがこの蝶々さんは切腹していた。しかしながら、日本人の私はROHの配慮を嬉しく思ったし、日本人、そして日本文化への配慮という目的を掲げ、それを達成したROHに拍手を送りたい。と思った。
この新しく生まれ変わった『蝶々夫人』は、2003年のモッシュ・ライザ―とパトリス・コーリエのコンビが演出した作品で7回目のリバイバルである。タイトルロールを歌った中村恵理はパッショネートで、大人しいけれども芯が強く、繊細で、そして自己犠牲的という蝶々さんの持つべき全ての性格を兼ね備えていた。顔の表情もメリハリがあり、ある時はひたむきな蝶々さんを、またある時は無邪気な蝶々さんを、そして蝶々さんの喜怒哀楽を的確に表していたので観劇中に感情移入できた。蝶々さんが背筋を伸ばして正座しながら、一晩中一睡もせずに、真剣な面持ちでアメリカ海軍士官・ピンカートンの帰りを待つその姿に心を打たれない観客はいなかったと思う。また見事な歌唱力の持ち主で、線の細い声のようでも、声量があり、か弱さと強さが入り混じったような独特な声は、会場に響き渡り、観客の琴線に触れた。彼女の声が身に染みて感極まって涙ぐんだ。
ピンカートンを演じたジャンルーカ・テラノーヴァは、朗々と伸びゆく声が魅力的であったものの、第一幕の、たとえ傷つけてでも蝶々さんを欲しいと思う気持ちと、第3幕の、蝶々さんを傷つけた自分を恥じるという気持ちの変遷の描写が乏しく、ピンカートンとして信ぴょう性に欠けていて、彼にはもっと似合った役があるのではないかと思った。スズキを演じたパトリシア・バードンは、蝶々さんの付き人として舞台上にいる時間が長いが、動きが日本人らしく、その立ち居振る舞いは品があり、凛としていて存在感があった。また蝶々さんとの二重唱「桜の枝を揺さぶって」も蝶々さんとの息がぴったり合っていて感銘を受けた。シャープレスを演じたギューラ・ナジーは、常識ある長崎領事の感じがよく出ていたし、プリンス・ヤマドリを演じたアラン・ピンガロンのテノールの美声の響きも機微に触れた。
クリスチャン・フェヌイヤのセットは蝶々さんとピンカートンの家の窓や障子などは、フランスのエスプリの入った日本風デザインだった。家の窓から見える写真でできた長崎の港の風景がもっともらしかった。またあらゆる場面で「物の哀れ」のシンボルである桜の花にアクセントを置いているのが印象的だった。それは散りゆく蝶々さんを象徴しているようだった。ダン・エッティンガーの指揮によって率いられたロイヤルオペラのオーケストラはオペラの開幕時には、テンポが速すぎて歌手とずれていてどうなる事かと思ったが、すぐに歌手とも調和するようになり、日本の歌曲があちこちにちりばめられているプッチーニのジャポニズム・オペラのマスターピースを感動的に奏でていた。
『蝶々夫人』を観て何の違和感もなくごく自然に話にのめりこむことができたのは、今回が初めてだったが、それにもまして中村の演技力、歌唱力は圧倒的で、閉幕と同時に観客がスタンディングオベーションで彼女を賞賛していたことは日本人として本当に嬉しかった。中村恵理がタイトルロールを演ずる英国ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)の『蝶々夫人』は日本人としては絶対に見逃せない。
チケットはこちらから→『蝶々夫人』(Madama Butterfly)英国ロイヤル・オペラ・ハウスで7月6日まで 中村恵理、上演日は6月23日、7月2日、6日。
蝶々さん(中村恵理)が寝ずにピンカートンを待つ場面 The Royal Opera © ROH Ph by Tristram Kenton
蝶々さん(中村恵理)(左)とスズキ(パトリシア・バードン)(右):二重唱「桜の枝を揺さぶって」のシーン
The Royal Opera © ROH Ph by Tristram Kenton
シャープレス(ギューラ・ナジー)(左)、スズキ(パトリシア・バードン)(中)、
ピンカートン(ジャンルーカ・テラノーヴァ)(右)
The Royal Opera © ROH Ph by Tristram Kenton
[1]東洋人のイメージとして好色・怠惰、肉体的にも劣った存在というイメージで西欧の文芸や絵画上に描かれた流れの一つ。エドワード・サイードの著作『オリエンタリズム』(1978年)によって一躍有名になった理論。 [2]ある文化圏の要素を他の文化圏の者が流用する行為。 [3]白人以外の役柄に白人俳優が配役されること。人種問題とともに、このような配役は不適切なものとみなされる場合が多い。 [4]白人俳優が東アジア人役を演じる際に施す舞台化粧の方法で、東アジア人の顔の作りの特徴を誇張したり湾曲して描く方法
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