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オペラ・ホーランド・パーク(OHP)の『エフゲニー・オネーギン』

著:内田美穂


オネーギン(サミュエル・デール・ジョンソン)がタチアーナ(アヌーシュ・ホヴァニシアン)にすがる場面

Opera Holland Park 2022 © Ali Wright



Eugene Onegin at Opera Holland Park


オペラ・ホーランド・パーク(OHP)はロンドンの最高級住宅地・ホーランド・パークに存在する同名の広大な公園内で夏の間だけ催されるオペラ・フェスティバルの一つだ。ロンドンの夏の風物詩で、700程の観客席を用意した仮設オペラ・ハウスで上演される。今年は5つほど新作品を上演するが、先陣を切って公演されたチャイコフスキー作曲の『エフゲニー・オネーギン』を観た。


『エフゲニー・オネーギン』は、チャイコフスキーのオペラの中でも最も頻繁に上演されているオペラだ。ロシア近代文学の祖とされている大詩人、アレクサンドル・プーシキンの書いた同名韻文小説を元にしたオペラで、1879年モスクワ音楽院の生徒たちによって初演された。あらすじはオペラとしては比較的シンプルだ。ロシア辺境の農村における女地主・ラーリナの長女、タチアーナは妹・オリガの恋人・ラリンスキーから、彼の親友・エフゲニー・オネーギンを紹介される。オネーギンに一目ぼれしたタチアーナは自分の気持ちを文にしたためて告白するが、けんもほろろに断られる。その後、タチアーナの聖名祝日のパーティに出席したオネーギンは退屈して、ラリンスキーを嫉妬させるためにこれ見よがしにオリガと一緒にダンスする。嫉妬し、傷ついたラリンスキーはオネーギンに決闘を挑み、それを受けたオネーギンは決闘でラリンスキーを射殺してしまう。そのショックから逃れるため、数年間に渡り外国を放浪した後に帰ってきたオネーギンは、サンクトペテルブルクの貴族の邸宅における舞踏会で貴族と結婚したタチアーナと再会する。洗練され、気品に満ちた彼女に惹かれ、自分の気持ちを書いた手紙をタチアーナに渡すが、彼女は彼を拒絶し、オネーギンは悲しみに打ちひしがれ幕が閉じる。


さて、この日の公演はとにもかくにも精鋭たる歌手勢の歌唱力と演技の力量に胸をゆすぶられた。オネーギンは第1幕では田舎を馬鹿にしていて感情を表に出さない紳士だが、第3幕では、タチアーナに対する外見を構っていられないほどの恋情に心を晒しだす男に変わっていく。タイトルロールを演じたサミュエル・デール・ジョンソンの演技はその変遷ぶりが見事で、オペラ最後にタチアーナに肘鉄砲をくらい絶望する時の表情などは、リアリスティックで共感でき万感胸に迫った。アヌーシュ・ホヴァニシアンは、本好きの田舎娘から貴族婦人に変遷するタチアーナを、その立ち居振る舞いによって的確に表現すると共に、有名な手紙のシーンのアリアも太めの迫力ある声で歌い上げ心を揺さぶった。しかし何といってもこの日はレニンスキーを演じたトーマス・アトキンスの歌唱力と演技が絶妙だった。決闘直前の気持ちを歌うアリア、「わが青春の日は遠く過ぎ去り」では悲痛な心情を朗々と響く歌声に乗せ、拍手喝さいを浴びた。またオルガを演じたエマ・スタナードはオネーギンにおだてられ、はしゃいでダンスする若娘の感じをよく出していたし、タチアーナとオリガの母親、ラーリナを演じたアマンダ・ルークロフトは気品ある女地主の感じがよく表れていた。年老いた乳母フィリピエヴナを演じたキャスリン・ウィルキンソンもタチアーナにぞっこんの夫、グレーミン公爵を演じたマシュー・スティフもそれぞれの持ち味に好感が持てた。


タキスがデザインした舞台は、開いたり閉じたりするドアが並列する壁を何層かに渡って配置し、人を出入りさせることによって器用に屋敷の広さを表現していたのが印象的だ。また男性の衣装はウェストコートに長いブーツ、女性はハイウェストのシュミーズドレスといった19世紀初頭風の出立ちであったが、舞台セットも衣装も色彩があか抜けていて視覚的に楽しめた。


ジュリア・バーバックの演出したこの新作品は、総合的には素晴らしい出来だと思ったが、気になったのは単独のアリアの時に登場人物の心中が舞台上に現れる事だった。例えば決闘のシーンでは、本当はオネーギンとレニンスキーが淡々と決闘をこなす場面であるにも拘わらず、この舞台ではレンスキーとオネーギンが抱き合っていた。また、タチアーナの手紙のシーンでは、実際は彼女が一人で手紙を書いているにも拘わらず、彼女の想像するオネーギンが彼女にまつわりついていた。逆にオネーギンが手紙を書くシーンでも、実際にはタチアーナは彼を拒絶するにも拘わらず、二人が寄り添うというオネーギンの心中の願望が舞台上に現れていた。物語を熟知している者にとっては心の中のでき事と理解できるが、初めて観る人には紛らわしく何が起こっているのか分かりづらいのではと思った。


ラダ・ヴァレショヴァの指揮に率いられたシティ・オブ・ロンドン・シンフォニアの演奏は各幕の終わりはすこぶる勢いがあり、チャイコフスキーの抒情的で華やかなオーケストレーションを効果的に奏でていたが、時にテンポがゆっくりすぎでその上単調で、歌手の上出来には比肩し得なかったと言わざるを得ない。


6月のロンドンは清々しく、オペラ・ハウスにたどり着くまでホーランド・パークの公園内を歩いているだけでも心がウキウキしてくる。チャイコフスキーの流麗でロマンチックな音楽と精鋭たる歌手達の歌声、そして洗練されたデザインのプロダクションである『エフゲニー・オネーギン』を観に是非OHPまで足を運ぼう。決して後悔はしない。


6月25日まで上演。チケットはこちらをクリック。→エウゲニー・オネーギン(Eugene Onegin)オペラ・ホーランド・パーク



タイトルロールを演じるサミュエル・デール・ジョンソン

Opera Holland Park 2022 © Ali Wright



タチアーナを演じるアヌーシュ・ホヴァニシアン

Opera Holland Park 2022 © Alastair Muir



嫉妬に駆られるレニンスキーを演じるトーマス・アトキンス(左)とエフゲニー・オネーギンを演じるサミュエル・デール・ジョンソン(右)

Opera Holland Park 2022 © Lidia Crisafulli


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