長男の巻:パブリックスクール その5
5月に入り、長男のGCSEが始まった。前述の通り、GCSEの試験期間はひと月以上に渡るので健康には十分に気を付けなければならない。試験と試験の間が一週間以上空くこともあれば、毎日続くこともあり、健康管理と共に準備の時間配分にも本人は気を付けなければならない。親としては食事を作る以外には何もできないし、試験が終わって帰ってきても仏頂面なのでその試験が出来たのかどうかも全く見当がつかなかった。日ごと試験日の予定表を見ながら無味乾燥な日々を過ごすのだった。そうして半分以上の試験が終わり、次の日にフランス語と歴史の試験が控えている日の夜半遅く、まさかと思うことが起こった。
長男が自分の部屋のある階上から降りてきて、気分が悪いというのだ。顔が真っ青だ。「まずい」ととっさに思った。額に手を当てた途端熱がかなり高いことがすぐ分かった。こちらまで真っ青になってきた。「あー明日試験が二つもあるのにこんな時に熱を出すなんてどうしよう!!」と思っていると、長男はトイレに駆け込みゲーゲー嘔吐し始めた。明日試験に行かれるかもわからない。とっさの判断でもう夜11時だったにも拘わらず彼のチューターに電話した。
チューターとは各生徒についている学校の教師で、学校の事に関しては何を相談してもよいことになっている。長男には美術の教師のミセス・Hがチューターとしてついていた。生徒たちは朝学校に行くとチューターの部屋に行き出席を取る。そこには各学年から2、3人ずつ彼女の受け持つ生徒たち(チューティー)計15人ほどが集まることになる。親はチューターをご夫妻で学期ごとに自宅にディナーにお呼びして学校の事、家の事、将来の事などを話すのだ。そうやってチューターとチューティーは自然と家族ぐるみで仲良くなるシステムをセントポールは取っていた。因みに長男が卒業してからしばらくしても一緒にオペラを観に行くなど、私は今でもミセス・Hとは連絡を取り合っている。
話を元に戻そう。熱が出て嘔吐している長男を見て青ざめた私は夜中にミセス・Hに電話して事情を説明した。彼女は「遅くに電話してきたのは構わないし、万が一試験が受けられなくとも世界の終わりでもないから」と言って動揺している私を慰めてくれた。そして、病院に行って医師の証明書を取ってくることを勧めてくれた。万が一受けられなかった場合はボード(試験を実施する委員会)に提出するのでとのことだった。その時は「ただ試験を受けなかっただけではさぼったかもわからないので必ず医師証明は必要だ」ぐらいに思っていた。そして私は夜中に長男を連れて救急病院に駆け付けた。そこで注射を打ってもらい、薬も飲んで帰ってきた。医師証明ももらってきた。家に帰ってきたときはすでに3時を回っていてこんな状態で試験が受けられるのか心配で仕方なかった。翌朝起きたら熱が下がっていたので長男は試験を受けに行くという。やはり受けないよりは受けた方がいい。主人が車で学校まで送って試験を受けてきた。
*学校区分の日英比較は大体下記のとおり。(英国日本婦人会発行『ロンドン暮らしのハンドブック』2017年5-8改訂版p。35参照)
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。