レオノーラ(アンナ・ネトレプコ)とドン・アルヴァーロ(ヨナス・カウフマン)©2019ROH. Photo by Bill Cooper
ロイヤル・オペラ・ハウス (ROH)の『運命の力』
La forza del destino at the Royal Opera House
今をときめくオペラ界の大スター、アンナ・ネトレプコとヨナス・カウフマンがロイヤル・オペラ・ハウスの『運命の力』で共演した。どちらか一人が出演するだけでもチケットは必ず売り切れるというが、このチケットは発売と同時に完売し、ダフ屋が売る値段が3000ポンド(原稿執筆時換算レートで約42万円)と噂が立つほどの人気だった。時に舞台をキャンセルすることのある二人だ。チケットホールダーの願いはただ一つ「どうぞキャンセルされることなく二人の舞台を観ることができますように・・」。
『運命の力』はヴェルディのオペラの中では『リゴレット』や『椿姫』などに比べて人気のある方ではないが、単独でも演奏される序曲や、心を揺さぶられるアリアや二重唱が散在する抒情的な悲劇のオペラである。オリジナルは1862年にロシアのサンクトペテルブルクのマリンスキー劇場の為に書かれたが、1869年にミラノのスカラ座での上演の為に改められ、現在ではこの改訂版が演じられることが多い。クリストフ・ロイ演出のこの新しい作品もミラノ版を使ったROHとオランダ国立オペラとの共作で2017年にアムステルダムで初演されたものだ。
第1幕からネトレプコ扮するレオノーラの歌唱力とステージプレゼンスには圧倒された。コーラスの音量にも負けない声量を披露しながらも繊細で思慮深い音楽家としての才能を発揮して優柔不断でか弱いレオノーラのデリカシーを見事に表現。第2幕のレオノーラのアリア ‘Son giunta! Grazie, o Dio’が終わったときは観客からの拍手が鳴りやまなかった。また第4幕の ‘Pace, Pace mio Dio’ そして死に至る最期の時は横になりながらもピアニッシモで高音を玲瓏たる声音で響かせ、観客を酔わせてくれた。一方、カウフマンは暗く罪に苛まれるドン・アルヴァーロを演じた。彼はパヴァロッティのような声量はないが、朗々たる歌声がとにかくセクシーで惹きつけられる。感傷的なソロのクラリネットに続いて演じられる第3幕のアリア、 ‘Oh, tu che in seno agli angeli’には我を忘れて聞きほれてしまった。またドン・カルロを演じたルドヴィク・テジエは歌が秀逸だった上にカウフマンとの相性も良く、第3幕のドン・アルヴァーロとドン・カルロのデュエットは背筋がぞくぞくするほど素晴らしかった。さらに頼りがいのある修道院長・グァルディアーノ神父を演じたフェルッチョ・フルラネットと、冷笑的な修道士・フラ・メリトーネを演じたアレッサンドロ・コルべッリの二人も心憎いほどの演技で主役3人をサポートしていた。そしてなんといってもアントニオ・パッパーノのこのオペラに対する意気込みがひしひしと伝わってくるかのような指揮とそれに率いられたオーケストラの奏でる妙なる調べには心揺さぶられた。
ただ、クリスチャン・シュミットのセットではドン・アルヴァーロが誤ってカラトラーヴァ侯爵を殺してしまうシーンがレオノーラの心のトラウマとしてスクリーンに何度も投影されるが少ししつこすぎて最後の方は効果が薄れていると思った。長い序曲の間、下の息子と侯爵夫人が亡くなってしまうというカラトラーヴァ家の悲しい歴史を無言劇で表現したり、第3幕、第2場でヴェロニカ・シメオニ演じるプレツィオジッラに率いられて兵隊たちがアクロバティックなダンスを見せるなど、間延びしがちな展開にエンターテイニング性を取り入れているが、却ってまとまりがない印象が残ってしまい、そこが『運命の力』がヴェルディのオペラの中での人気が今一つの理由だと思う。
とはいえ、やはりネトレプコ、カウフマンそしてテジエという黄金の歌手陣を揃えたこの日の公演には胸を打たれ、忘我の恍惚境に陥ってしまった。ROHでは、来年『トスカ』にネトレプコが、そして『フィデリオ』にはカウフマンがそれぞれ出演することが発表されたが、今度この二人が同時に出演して観客を陶酔させてくれるのはいつになるのだろうか。
レオノーラ(アンナ・ネトレプコ)©2019ROH. Photo by Bill Cooper
ドン・アルヴァーロ(ヨナス・カウフマン)©2019ROH. Photo by Bill Cooper
ドン・カルロ(ルドヴィク・テジエ)©2019ROH. Photo by Bill Cooper
グァルディアーノ神父(フェルッチョ・フルラネット)©2019ROH. Photo by Bill Cooper
プレツィオジッラ(ヴェロニカ・シメオニ)とレオノーラ(アンナ・ネトレプコ) ©2019ROH. Photo by Bill Cooper
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。https://www.mihouchida.com/