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中村敦夫 朗読劇『線量計が鳴る』

元原発技術者のモノローグ 朗読劇『線量計が鳴る』

脚本・出演・主演:中村敦夫

2019年1月11日 

仙台アンコール公演

主催:朗読劇「線量計が鳴る」仙台実行委員会

『線量計が鳴る』は、福島で生まれ、福島で育ち、福島第一原発で配管技師として働いた一人の男性を主人公に、中村敦夫氏が独り朗読という手法で表現した舞台である。

舞台の内容を語る前に、少し中村敦夫という人物が、どのような人生を経て、この芝居を創ろうと思ったかを知る必要があるのかもしれない。

中村氏は社会問題を多く取り上げた劇団俳優座の役者として活躍していたが、20代で米国留学、そこで様々な影響を受ける。1972年には「木枯らし紋次郎」役で、一躍スタートとなり、多くの主役に抜擢されるようになる。

それから本の執筆のため、多くの国を訪れると、米国留学の時とはまた違う厳しい世界を目の当たりにする。独特の視点と歯に衣着せぬ発言が注目され、1980年代には報道番組「地球発22時」に抜擢。その後、イラク戦争などの紛争地へも訪れ、現地の悲惨さを体験し、ジャーナリスト、エコロジストとしても意欲的に活動を続ける。のちに参議院選挙に出馬し、見事当選。6年間、政治家としての活動をするも日本の政治に幻滅。

大手メディアが伝えない福島原発事故の事実を報道とは違う形で、皆に分かりやすく表現することを模索。2017年この朗読劇を完成させ、それ以来、全国を回り公演し続けている。

筆者は、幸いにも今年1月13日に仙台市法運寺で行われた57回目公演を拝見することができた。

その日の仙台は、東北特有のピンと張り詰めた冷たい空気が漂っていたが、美しい青空が広がっていた。

会場に集まった人たちのほとんどは年配者であり、もっと若い世代も見るべきではないかと思った。開演時間になり、照明が落とされ真っ暗になると、遠くの方から線量計の甲高いピーピーっという音が聞こえ、配管技師役の中村氏が現れた。

ハンチング帽を深く被り、ジャケットにリュックサックという姿の主人公。舞台は一幕四場。一部と二部に分かれ、一部は原発事故前のどのような経緯で福島に原発が作られ、その原発マネーで町が潤い、配管技師の主人公が豊かで幸せな生活を送ってきたか、そして2011年3月11日東日本大震災が起こり、言葉通り、全てを失ったという配管技師のストーリー。また、原発事故の大惨事とつながる原因となった東電や国、原子力委員会のずさんな管理を詳細に説明。

地面が大きく揺れ、町が一気に津波に飲み込まれ、原発が破壊される様子も生々しく語られた。この主人公は静かに老後を過す計画を立てていたが、その夢は見事に打ち砕かれ、また中村氏自身も同じ思いであった。しかし、この事故で彼のジャーナリスト、エコロジスト魂に再び火が付いたのだ。

この仙台も多大な被害を受けた地域の1つであり、観客の多くが当時のことを思い出し、下を向き、ハンカチやティッシュで涙をぬぐい、鼻をすすっていた。筆者も当時ロンドンの自宅で、テレビやネットから流れる悲惨な情景が蘇り、涙を堪えることができなかった。

15分の休憩中、観客の表情は複雑をしていた。この芝居を来た人々は、どのような思いで観ているのであろうか。

二部は原発の発電の仕組み、米国のマンハッタン計画の内容、マーシャル島で行われた水爆核実験によりマグロ漁船が被爆した話のほか、1986年に起こったチェルノブイリ事故の当時と現在の様子、そして今回の福島原発事故を東電と国がどのように国民を欺いたかをデータや資料を使い、細かく説明していた。

思った以上に原発に関する専門的情報が多く、まさに自らの命を削り、現場を訪ね、多くの関係者から情報を得たであろうということは想像できた。所々に皮肉たっぷりのジョークも入れ、観客をクスッと笑わせてもくれた。原子力安全・保安院の話ではプロジェクターのスクリーンに「ホアンインアホ」の文字を映し出し、前から読んでも後ろから読んでも同じように読めると。

なにげなく、隣に座っていた70代の女性に「お芝居の中の情報は知っていましたか」と尋ねると「かなり大手メディアの内容と芝居で語られた内容が違って、あらためて驚きました。」と答えてくれた。

約2時間の上演時間はあっという間に終わり、現実の世界に戻った。

今まで知り得なかった現実を知り、その問題を噛み締めて、さてこれから自分たちは何をすべきか、何ができるのかを真剣に考えなければいけない現実へと戻ったのである。2011年の感覚がまた戻ってきた。現実を受け入れるのはとても勇気が必要であり、まだまだ長く辛い戦いが続いていくのである。

寺を出ると、来た時と同じ青空が広がっていた。しかし自分自身は2時間前の自分とは明らかに違っていた。しきりに何かをしなければいけない衝動にかられ、急いで仙台駅に向かい東京へ戻った。

新幹線の中で、会場で購入した中村氏の本の冒頭に「表現者として、頭脳が回転している限り、だんまりを決め込むわけには行かない。それは、卑怯というものである。」また、「知ってしまった事を知らなかった事にはできない」という言葉が胸に刺さった。それはまるで自分へのメッセージのような気がした。

(この後日、中村氏の事務所を訪れ、インタビューをさせて頂いた。その記事はまた次の機会に掲載したいと思う)

そして、真摯にチケットの販売に対応して下さった服部氏を始め、この仙台公演の主催者やスタッフの方にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。

***是非とも中村敦夫氏の独り朗読劇をロンドン、またはイギリスの地方都市でも開催したいと考えており、もし賛同して下さる方がいらしたら、J News UKのコンタクト欄からご連絡をお願いします。

舞台終了後に花束を受け取る中村敦夫氏 (C)J News UK

会場となった仙台市の法運寺 (C)J News UK

プログラム (C)J News UK

「朗読劇 線量計が鳴る」 (C)J News UK

中村敦夫

1940年東京生まれ。俳優、作家、日本ペンクラブ理事・元参議院議員。1972年放映の「木枯らし紋次郎」が空前のブームになり、数多くのドラマで主演をつとめる。海外取材を基に書いた小説「チェンマイの首」がベストセラーとなり、国際小説ブームの火付け役となった。この成果から84年には、TV情報番組「地球発22時」のキャスターに起用される。政治的発言が多くなり、98年参議院投稿選挙区から立候補して当選。2000年、「さきがけ」代表に就任。02年には党名を「緑の会議」に変え、日本最初の環境政党を作ろうと全国の組織化に奔走。07年から3年間、同志社大学院・総合政策科学研究所で講師を勤め、環境社会学を講義。現在は日本ペンクラブ理事、環境委員を務める。

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