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宮田和幸氏インタビュー:イケメン格闘家は、優秀な指導者、実業家、そして人格者でもあった –1


(c)QUINTET/Photo: Takashi Iga

9月末に突然の引退を表明し、ファンを驚かせたのは記憶に新しい。大晦日に試合を控えた宮田和幸選手、そして今月には自らの著書『「一流の身体」のつくり方』が出版され、 去る6月には桜庭和志氏主宰の新しいタイプの格闘技イベント QUINTETにも出場。来年2月はブレイブジム設立10周年を迎え、男、42歳、益々人としての深みを増し、無限に成長し続けている。

外見も内面も本当の意味でカッコイイ男性というのは、一体どんな人物であるのか。このインタビューを通して宮田和幸氏の意外な素顔を数回に渡り紹介していきたい。

別名「リトル・ヘラクレス」

ヘラクレスは誰もが知っているギリシャ神話に登場する英雄で、全知全能の神ゼウスと人間の女性との間に生まれた子。その生い立ちから、ヘラクレスの試練、12の功績は有名な話であり、天性の腕力のほか、知恵と人望も兼ね備え、宮田氏は、まさにその名に、ふさわしい人物と言えるのではないか。

まず宮田氏に初めて出会った時は、とても誠実で率直、即決即断、自分の理想とする事への努力を惜

ず、邁進していく人に感じた。その第一印象は見事的中。それから更に、彼の物事の考え方やこだわりを聞く中で、共感することが実に多いことに気づく。「宮田和幸」という人物を知る誰もがそうであるように、私自身、この8年間、彼の生き方に影響を受け、励まされてきた一人だといえよう。

ただ単に、テイクダウンが上手くなるとか、ジャーマン・スープレックスを美しくキメられるようになるとか、そういうテクニカルな事だけを教えてくれる人は他にもいるだろう。しかし、人としての温もりや深い愛情を持って、人々に接している彼から放たれる目に見えないエネルギーは、まさに絶大なポジティブな影響力なのである。

(c)QUINTET/Photo: Takashi Iga

(c)QUINTET/Photo: Takashi Iga

J:来年2月で10周年になりますが、この10年を振り返り思うことは?

宮:最初は自分の練習場所としてやっていたんですよ。まー、ここまで長くできればいいなとは思ったんですけど、現役のうちに自分の練習場所ができればいいやっていう。いろんなところに出稽古行ったりしなくて済むんで。えー、そういう風に初めたんですけど。結構、その前にお客さん商売っていうか、やったことなかったんで、実際やってみたらすごい良い人たちに巡り逢えて、それで、なんかもっとちゃんと教えたいなっと、普通に思いまして。いろんなやり方、今パーソナルトレーニングでもやってるし、あと、キッズも最初は強くするっていうか、楽しんでもらえれば良いやって思ったんですけど、だんだん強くなっていく子が出たり、あとは、選手も育てるつもりも特になかったんですけど、今いる芦田みたいな感じで強くなりたいって子が出たんで。そういう他にはない弟子制度というか、格闘技に特化したような生活ができるように変えて行ったり、いろいろあった10年だなっと思います。

J:最初から全てを計画していた訳ではなく、自分のトレーニングのために初められたということですね。

宮:メインは僕中心にというか、あとはその、いまは格闘技ジムってすごく多いんですけど、10年前ってそこまでなかったんですね。今はすごく増えてます、この10年で。見る人よりもやる人が増えてます。ただ、んー、最初はいろんなところに行ったりするのが面倒だったし、あとは自分のチームみたいなのを作りたかったんですね。出稽古だとスパーリングとか実戦練習で強くはなるんだけど、試合で勝てるかどうかっていうのは、ちょっとチーム制になっていないから、チーム練習みたいのをやってなかったんですよね。

J:チーム制になるとどのような面で勝てるようになるのですか?

宮:なんて言うんだろう。作戦も自分のチームもなかったんですよ。そのトレーナーとかも何seedrsなく、いつも練習出稽古でいた選手についてもらったりだから、本当の自分の身内じゃなから100%、なんだろう、作戦考えたりはしない、僕が他のチームに、もし頼まれたらそこまでできないし、普通みんなそんな感じ、寄せ集めになったら、そんな感じだから。あとは技の精度とか、これだと一本取れるとか、そう言う細かいディテールチェックとか、なかなかできないんですよね。そういうのがいるなっと思って。

J:元々レスリングを初められたキッカケは何だったのですか?

宮:うちの兄貴がプロレス好きだったんで連れられて。だいたい兄弟っていうと、二人違う種目って、親が面倒くさいじゃないですか(笑)うちは何かやるなら二人でやりなって、そういう発想だったんだと思います。

J:始めた頃は嫌だったんですか?

宮:そうですね。あんまりやりたくはなかったんですね(苦笑)

J:今、(レスリングした事を)後悔しているとか?!

宮:いや、後悔とかしてないですけど、まー、どっちとも、別に。たまにレスリングじゃなくてもよかったかなっとは思うんですね。

J:もしレスリングでなかったら何をやっていたと思いますか?

宮:好きなのは…、レスリングと柔道とか、格闘技系を2つやっちゃっていたんで、他やる、時間、余裕がなかったので、一般的に…。野球はあまり面白いと思った事なかったですけど、サッカーとか、バスケットとか。

J:そちらの方が好き?

宮:うん、そっちでも良かったと。

J:全く予想していなかった回答に少々驚きを隠せないですが、打撃でもブラジリアン柔術でもなく、完全にスポーツでも良かったかもしれないという事ですね?!レスラー、格闘家のイメージがあまりにも定着しているので、サッカー選手やバスケ選手の宮田さんは想像し難いです(笑)

宮:僕、地元では運動神経がめちゃくちゃ良くて、有名だったんです。学校の先生とかも何か絶対に(トップに)行くよねって、いつも言われてたし、スポーツテストみたいなのがあったんだけど、あれは絶対1位だったんです。運動神経はめちゃくちゃ良かったんで、何やってもよかったんで、あえて、稼ぎが少ない種目をなぜ選んだんだろうと。そっちをたまに思っちゃうの。こっちじゃなくて、いいじゃんっていう。しかも種目としてはすごくハードなんですよ。レスリングとか、格闘技とか、そうだけど。わざわざね、そっちになんで行っちゃったんだろうって気がする時はある。ただ今は不満じゃないから別に。ねー、分かんないですけど、どこまで行ってたか。

J:現役ファイターとしての今後は?(9月30日の正式引退発表前)

宮:年内に引退しようと思ってて、それは去年も言ってたんですけど。やっぱり体力の衰えっていうよりも怪我がすごく、古傷みたいなのが、やっぱりあるので100%のトレーニングができないんですよね。なので、去年もやめようかなって思ったんですけど、とりあえず、あと1試合は。1試合ちゃんとしてから、やめようと思って。今のところ、RIZINで、9月か、12月。

*宮田選手の引退試合は、RIZIN主催で、12月31日大晦日、さいたまスーパーアリーナで行われます。チケットご希望の方は宮田選手主宰のBrave Gymにでも購入できます。

J:アマチュアレスリング選手から、プロの格闘家、そして実業家になり、今までの人生で何か学ぶ事はありましたか?

宮:学んだ事、すごいいっぱいあるけど(笑)なんかあまり書けない事を学んだかな、と思いますけどね。

J:書けない?それは、どういう意味ですか?

宮:だから、本とかには出せない感じなのかな。がっかりする事の方が多いから。子供の時、思ってたような事じゃない事の方が多いから…。例えばすごくいい選手は人格者だとか、でもそんな事ないじゃないじゃないですか、実際には。なんか、すっごいぶっ飛んでるヤツの方が、やっぱりそこまで振り切れるから、すごい成績残したりとかもするし。(中略:資本主義経済の根本的な問題についての意見)お金持ちの中では、全然お金持ちじゃないけど、格闘家の中では全然やれてる方だから、(中略:権力と富についての意見)そういうのに負けない何かを自分は持ちたいし、なんか、結局、お金じゃないって、分かってるんだけど、子供たちには幸せになってもらいたいなって。だって、ある程度(お金)持ってたら(それ以上)いらないじゃないですか。ただ持っていた方が人を幸せにできるから(資本主義経済社会で生きる上では)。ついて来てくれてる弟子とかは、まぁ、良い事も悪い事もあるけど、最終的に引退する時くらいに、ブレイブでやって良かったって思える感じになってくれればいいなっと、思ってますけどね。

インタビュー2:「ジムの詳細、経営、興行イベントについて」へつづく

宮田 和幸/Kazuyuki Miyata

BRAVE代表

シドニー五輪レスリングフリースタイル63kg級日本代表

2001、02、03年国民体育大会青年の部優勝

1999、2001、02年天皇杯全日本選手権大会優勝

1996年内閣総理大臣杯63kg級優勝

1993年国民体育大会少年の部フリー68kg級優勝

1990年全国中学生レスリング大会60kg級優勝

10歳の頃よりレスリングを始め、2000年のシドニー五輪には日本代表として出場するなど輝かしい成績を残す。2004年11月に行われた「RUMBLE ON THE ROOK」 ホイラー・グレイシー戦でMMAデビュー。日本でのデビュー戦は2005年2月に行われたK-1 MAXでの武田幸三戦。テイクダウン能力や抑え込みの技術は、国内軽量級の中でもトップクラスで関節技の極めも強い。フェザー級転向後、その強さは更に際立ち、現在も第一線で活躍。2016年年末に行われた「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016」では、アンディ・サワーに完勝した。

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内弟子 紹介1 

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芦田崇宏 28歳

第8代DEEPフェザー級現王者

ー内弟子になって何年

9年目

内弟子第1号です。

ー内弟子になった理由

宮田先生にお誘いいただいて、より格闘技に専念できる生活が出来ると思ったから迷わず弟子になりました。

ー内弟子になってよかったと思うこと/得たこと

格闘技を中心とした生活を送りながら様々な人と交流するようになり色々な世界を見させていただいてます。格闘技だけではない社会勉強をさせていただいてます。

ー逆に嫌だと思ったこと/失ったこと

これと言ってないです。格闘技に専念しすぎて大学の単位落としまくったくらいです。

ー師匠としての宮田さんをどう思うか

とにかく心から信頼しています。宮田先生が言うこと行うことには全て意味があると思って見ています。体育会系で育って来たのでとにかく近くにいて見て学ぶように過ごして来ました。生き方、考え方、行動力、性格全て。

まず、プロになる前に一言:

"だらだら格闘技続けてもダメ。まずは30歳まで死ぬ気で格闘技やれ、それで成功しなかったら格闘技は諦めろ。"と言われました。

僕が20の時だったのですがこの人なんで俺のこんな先の事まで考えてくれているんだ、、と感動したのを覚えてます。言葉では"これ!"と指示していただける事があまりないですが一言助言をいただけるだけであとはバックアップをしてくださります。さとすように僕を成長させてくださりました。

また、家族のように接してくださります。とくに、落ち込んでる時や行き詰まっている時などに1番フォローしてくださります。宮田先生もたまに言われますが見た目もオーラもかなり怖いです笑 でも誰よりも弟子の為に考えてくださっている師匠です。

昔言われた言葉が

"悪いけど俺はお前の家族よりお前のことを応援している。"

と試合に負けた時に一言言っていただけました。もうついていこうと思いますよ!この一言で。

ージムや師匠のセールスポイント

BRAVEでは選手志望も一般の方も確実に強くなれます。僕らも師匠から学んだ事、今まで経験して来た事を惜しみなく指導させていただいております。

子ども達には未来に希望が持てるように指導しています。

ー目標

有名になって応援してくださっている方々が僕をネタに自慢話できるような人間になる。

ー今一番の楽しみは

沖縄に行く事です。

鈴木隼人 31歳

国内トップ/初代フライ級GRACHANチャンピオン

アジアNo1団体 One Championshipのベルトを狙う

ー内弟子になって何年

8年

ー内弟子になった理由

総合格闘技で生きるため

ー内弟子になってよかったと思うこと/得たこと

今ある自分の全ては内弟子になって得たもの、内弟子でなく格闘技をやっていたら中途半端だったと思う。

ー逆に嫌だと思ったこと/失ったこと

嫌なことはないがプライベートな時間はほぼない、ほぼブレイブと格闘技に費やしている。

ー師匠としての宮田さんをどう思うか

全てにおいて尊敬できる人。私が強くなるためにたくさん気をつかってくれている。

いつか越えなくてならない人。

ージムや師匠のセールスポイント

三郷ブレイブは24時間開放されており、いつでもトレーニングできる。

ー目標

One Championshipのチャンピオン

ー今一番の楽しみは

結婚したので週1回の休みの日は家族サービスをしたい。

内弟子紹介2へつづく

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保護者から見た宮田先生 by 硎屋浩丈

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初めて先生にお会いしたのは2009年2月。第一印象は「かっこいい」あと、「何だ、このカラダは」と驚いたことでした。TVの総合格闘技の大会で観ていた人が目の前にいるだけで緊張しましたね。シドニー五輪レスリング日本代表という肩書きにも憧れました。そんな先生だったので保護者、子供達にも大人気です。それでも練習は厳しかったので、宮田先生がジムに入ってきた瞬間に、今までふざけていた子供達も一瞬で緊張してしまうといったオーラを持っている方です。

空気も一変しますね。

その厳しかった始めの4年間くらいでしたか、宮田先生がメインで練習を見てくれていた時代の生徒の一人が自分の息子になります。BRAVE初の全国大会優勝者の一人が息子でしたが、その時の宮田先生の顔は普段の厳しい先生ではなく、「くしゃくしゃになった」心の底から喜びが溢れ出るそんな笑顔でした。あの時の笑顔がとても印象に残っています。

今年10年目を迎えるBRAVEですが、小学1年生だった息子も今春から高校に進学、9年間という濃密な時間を過ごしたBRAVEを無事卒業しました。高校は、宮田先生方の勧めと本人の希望もあり、茨城県の鹿島高等学校に進学、日々レスリングの練習に明け暮れています。

9年間というレスリングの基礎があったからこそ1年生で関東大会優勝、県代表にもなることが出来ました。

宮田先生には本当に感謝しています。

これからも子供達にとって高い目標であり続けて欲しい。厳しくも優しい、そしてかっこよくて強い特別な存在、それが私たち保護者から見た宮田和幸だと思います。

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