英国で唯一の演歌歌手、望月あかりさんインタビュー
インタビュー動画
今回はJ News UKに毎月連載を寄稿されている、望月あかりさんにいろいろとお話を伺う事ができた。日本を離れ、異国の地イギリスで演歌歌手として地道な努力を続けているあかりさん、今では日本のイベントには欠かせない存在となり、英国内での外国人からの支持も増え、2017年では日本のバラエティー番組で特集された。そしてそこで初めて彼女の知られざる人生が赤裸々と紹介され、それはまさに演歌を地で行く人生のようであった。
このインタビューでは、彼女の人生のフォーカスというよりもむしろ、海外で日本人が演歌歌手、エンターテイナーとして生きるという事がいかに大変かを多くの人々に知って頂くという趣旨である。そして演歌歌手、エンターテイナーみならず、一人の人間として、並々ならぬ努力を常に注ぐ精神力、向上心など彼女から見習うことはたくさんあるであろう。
ジャパン祭り2018で津軽三味線奏者の一川響氏と共演する望月あかり氏
衣装提供:Kimono De Go 朱雀 (c)J News UK, Photo:Chikako Osawa-Horowitz
J: 自己紹介からお願いします。
A: 望月あかりです。職業演歌歌手。もうかれこれ、何歳からいると言うと、歳がバレますけども、二十歳になる前から来ておりますので、三十ウン歳ということにしておいて下さい(笑)30代女、真っ盛りでございます。
J: 演歌歌手歴は?
A: 演歌歌手歴は2009年からなので、来年がデビュー10周年、というか、まぁ、歌手活動を始めて10周年という感じですね。
J: 演歌歌手になろうと思ったきっかけは?
A: なろうと思ったきっかけといって、今、現在演歌歌手になっている状態ではなるんですが、きっかけというか、元々3歳の頃から歌っていて。その、3歳になる前からも、実は父親がものすごく演歌のファンで、演歌を胎教でも歌っていて、生まれてからは子守唄になり、そして3歳で喋れるようになってからは、今度はトレーニングが始まり、気がついたら、もう3歳でマイクを離さないという状態で。7歳くらいの時に初めて地元ののど自慢大会に出て、そこ歌った事がきっかけで、ステージに立つ快感を覚えたという。
それまではものすごく大人しかったんですけど、のど自慢に出て、最優秀賞をもらって、すごく歌う事が好きになって、じゃ、どうやってプロを目指すかって以上に難しくて。その、元々イギリスに来たときは洋楽を勉強したいなとも思っていたし、演歌はもちろんずっと小学校1年生の時に出た大会からずっと毎年のように、同じ地元の大会に出たり。ちょっと催し物があったら、出たり、地元のラジオ局のコーナーに出たりとかはしていたものの、結局、高校に行って、次の学校、留学の専門学校に東京で1年行く中で、どんどんと、こう、井の中の蛙が、大海を知って行くプロセスに乗って。
山口県出身なんですけど、ちょーど田舎から東京にまず出て、すごいたくさんの人の中で、まぁ、歌のうまい人もたくさんいるし、自分を表現するのが上手い人もたくさんいる中で、んー、このまま私は、何を追求して行ったらいいんだろうかと、すごく悩んでいた時期もあったんですが、とりあえず、英語をベラベラになりたいという、モチベーションが高かったので、イギリスにきて、イギリスのケンブリッジでファンデーション(基礎)コースの演劇をとって、2年目のロンドンで現代音楽の学校に通って、そこで穏当にいわゆるジャズとかR&Bとか洋楽をネイティブ(英語を母国語とする人)たちと一緒にやってたんです。
ところが、結局のところ、自分はステージに立つのが好きで、その人たちと英語の歌を歌うのが楽しいんだけど、一人一人のステージのテストがあるわけです。ステージパフォーマンスのテストを受ける中で、最終的にそこの学校の校長先生が「君の中には西洋のリズムじゃなくて、ずっと東洋のリズムが流れてるんじゃない?」ってすごく言われて、「なるほど」っと。すごくたくさんのネイティブスピーカーのなかで、英語で戦うんじゃなくて、どうせやるんだったら、自分が今までやってきたその自分の国の歌をこの国で広めるような事をしたほうが、多分いいんじゃないかという風に金言として頂いて、そこからです。
じゃ、私の原点って何だろうと思ったら、確実に演歌で、演歌をずっと歌ってきたんだから、演歌をやれたらいいなと思い始めてたんです。あの、いろいろ人生岐路がたくさんありつつの、日本の出版社に働くことになって、ロンドンにあるそこの営業を始めた頃に、丁度、会社の忘/新年会で「演歌歌手やりたかったんです。演歌歌手のなり損ないの私、頑張ります。」みたいな。忘/新年会で歌っていたら、すごい覚えてて、面白いヤツが入ってきたな、会社に。
たまたまその時、上司の取引先の営業先の日本食を出しているレストランで、ライブショーみたいな事がしたいと。ライブショーをするためには演者がいるけども、どなたかご存知じゃないですか?という風に上司の方に問い合わせがあったと。で、「あぁ、うちに入ってきたので、なんか演歌歌手のなり損ないが一人いますね」みたいな。じゃ、その方をオーディションに寄越してくださいよっとなったのがきっかけで、ちょっと行ってくればと言われて、あぁ、ホントですか?!
じゃー、行ってきますって行って。ライブショーをやりたいってレストランに足を運んで「じゃ、すみません、演歌歌手のなり損ないです。お願いします!」ってオーディションをしたら、たまたま、そこのオーナーの方が元芸能関係の仕事をされていたので、その厳しい目を持ってジャッジ(評価)して頂いて、結果、「うん、ショーできるスタンダードでしょう」という事で、機会を頂いて。
早速、その次の次の週くらいに始めてのショーをすると。お客様にチャージをしてやるので、しっかりやってくださいという事で、ショーチャージがかかるという初めての経験をそこでして。さらに初めてのショーに当時のイギリスの日本人大使もこられて、その日本人大使を囲む、各種日系企業社長軍団も一緒にこられて、そこから「あ、君、演歌歌手なの?」って言われて、「あ、はい」(笑)演歌歌手のなり損ないです、とも言えず、演歌歌手ですっと行ったもん勝ちの。
でもそれがきっかけで、じゃ、うちの企業のパーティーで歌ってくれませんか、うちのやってるイベントで歌いませんかというきっかけに演歌歌手の需要が、ロンドンでの需要が、こう、ぐっと。今度はその噂を聞きつけた方が、現地のイベントのウロモーターに紹介して頂いたり、そこからですね。それがきっかけでございます。
ジャパン祭り2018で演歌を熱唱する望月あかり氏、衣装提供:Kimono De Go 朱雀
(c)J News UK, Photo:Chikako Osawa-Horowitz
J: 本場イギリスで洋楽や演劇を大学のファンデーション(基礎)コースで学ばれましたが、そちらの道に進まなかった未練はないですか?
A: 私の一番最初の印象は、まず、洋楽を勉強するっていう事が、こんなに大変な事だと思ってなかったというのが、実際のところで。その、例えば、知っている曲をただ歌う、カーペンターズの曲が、私が高校時代にすごく流行ったので、それを、まぁ、歌詞も覚えて歌えるようになりました。じゃ、実際にネイティブの人たちの前で歌います。これくらいの感覚でできるものかなって思っていたら、実は全然違って、発声とか英語で歌う時の発声方法は、日本語で歌う時の発声方法と全然違うっていう事に、当たり前のようなんですけど、気づいてなくて。喉の使う位置も違ったり、リズムが違ったり、正直ついていけなかったんです。
洋楽を学ぶっていう事を一からやったときに、はぁ、これは大変だと、自分が持っている、例えば、コブシみたいなのとか、唸りみたいな、そういうテクニックは、クリスティーヌ・アギュレラやマライヤ・キャリーの歌お聞いてると、節々にあるんです。あぁ、同じじゃんっと思うんだけど、それを英語の発音に適応しようとすると急にできなくなったりだとか。だから、はぁ、こんなにハードルの高いことを私は簡単に考えすぎていたなって思って、結構挫折感の方が多かったです。
だから英語で歌を歌うことはすなわち、日本語で歌うのをそのまんまスイッチしてできることじゃないんだっていう事に気がついたという感じです。
ジャパン祭り2018で大舞台で司会進行を務める望月あかり氏、衣装提供:Kimono De Go 朱雀
(c)J News UK, Photo:Chikako Osawa-Horowitz
ジャパン祭り2018で他の演者と共演する望月あかり氏
(c)J News UK, Photo:Chikako Osawa-Horowitz
インタビュー2につづく
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2003年来英。ロンドン在住。2009年にイギリスで演歌歌手としての活動を開始。
2012年にオリジナル曲「ひとりDEナデシコ/霧のロンドン・愛」でCDデビュー。
ロンドンを中心に、国内外で演歌を披露。2011年以降は津軽三味線奏者の一川響氏とのデュオで日本の民謡曲を中心としたパフォーマンスやワークショップを行なっている。
2017年12月 テレビ東京系「世界ナゼそこに日本人」に出演。
2018年4月 BBCラジオ「The Verb」にゲスト出演し、演歌を披露。
日本の音楽の魅力を伝えるアンバサダーとして日英両言語で活動を続けている。
J News UK 「♪ロンドン演歌道(えんかみち)♪」好評連載中
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