'Lady Macbeth of Mtsensk' at the Royal Opera House
ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』
カテリーナ(エヴァ‐マリア・ウェストブローク)とセルゲイ(ブラント ン・ジョヴァノヴィッチ)の結婚式のシーン
(C) ROH. Photo by Clive Barda
「さすがは天才ショスタコービチ」と鑑賞後に唸ってしまったのが、ROHの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』だ。全4幕9場、170分という長いオペラだが、恋愛、怒り、嫉妬、恐怖心、絶望、笑いなど感情溢れる場面の一つ一つは、ショスタコービチの繊細な音楽で彩られ、ジェットコースターに乗っているかのように興奮させられ、あっという間に時間が過ぎ去った。不倫、結婚、強姦、殺人などの連続するこのオペラはヴェリズモや表現主義の要素を含んでいるが、1934年レニングラードでの初演は大成功を収めた。しかし不倫を赤裸々に描いた物語とそれを描写する西洋音楽に影響を受けたモダニズムの音楽は、ソ連共産党がスターリン主義推進の為にロシア作曲家に求めていた「社会主義的で民族的な音楽」と異なったため糾弾され、1936年から20年以上事実上の上演中止となってしまった。鑑賞中、不快になったスターリンは中座したという。弾圧の際の心の痛手から立ち直れなかったのか、これ以降、ショスタコービチが完成させたオペラはなく、残念な事にこの非凡な才能の持ち主が仕上げたオペラは、第一作目の『鼻』と『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の二本しかない。
2004年にリチャード・ジョーンズによって演出されたこの作品は1950年代のロシアの片田舎の設定である。高い壁が閉塞感を生み出すジョン・マクファーレーンの舞台セットとミミ・ジョーダン・シェリによる薄暗い照明によって、息の詰まるような日常が巧みに表されている。12年ぶり2度目のリバイバルだが、14年経った今も全く古臭さを感じさせなかった。殺人や性行為の生々しさや、風変わりなブラックユーモアの斬新さに引き込まれた私は、なぜ12年間も再演されなかったのか不思議に思った。ショスタコービチは主役のカテリーナを「革命前ロシアの悪夢のような環境に滅ぼされる、賢く才能ある女性」として描きたかったというが、3人の殺人犯にもかかわらず最後まで彼女を応援してしまいたくなってしまうのは、カテリーナを演じたエヴァ‐マリア・ウェストブロークの魅力によるところも大きい。不幸せな結婚生活に退屈している時や、恋人のセルゲイの裏切りに煮えくり返る時などの演技は絶妙で、カテリーナについ情けをかけたくなった。カテリーナの義理の父親、ボリスを演じたジョン・トムリンソンは、彼女に卑猥な感情を抱く場面や、亡霊となって彼女を脅かす場面などでの、一癖あるコミカルなタッチが印象的だった。また結婚式の場面など、団体を上手に使って統一感、閉塞感を表したシーンが目立っていたと思う。アントニオ・パッパーノは、時に鳥肌が立つほど感性を刺激するようなショスタコービチの音楽をテンポよく指揮していた。
ショスタコービチは『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を1作目として、根性あるロシア女性のオペラ3部作を創作する予定だったという。このオペラを観て彼のエキサイティングな音楽を経験すれば、誰もが実現しなかった事を残念に思うことだろう。
カテリーナ(エヴァ‐マリア・ウェストブローク)とボリス(ジョン・ト ムリンソン)
(C) ROH. Photo by Clive Barda
左:ボリス(ジョン・トムリンソン)右:カテリーナ(エヴァ‐マリア・ ウェストブローク)
とセルゲイ(ブラントン・ジョヴァノヴィッチ) (C) ROH. Photo by Clive Barda
カテリーナ(エヴァ‐マリア・ウェストブローク)とセルゲイ(ブラント ン・ジョヴァノヴィッチ)
(C) ROH. Photo by Clive Barda
ボリス(ジョン・トムリンソン)の亡霊に慄くカテリーナ(エヴァ‐マリア・ウェストブローク)
(C) ROH. Photo by Clive Barda
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。