ガーデン・サバーブ・スクール その1(娘の話)
そうこうしているうちにウェセックス・ガーデンに通い始めてから1年が経とう としていた。ただ、ウェイティング リストに載せてもらっているはずの、比較的裕福な 家庭の住宅地の真ん中に立っている、そしてオフ ステッドの報告書でもすこぶる評価が 良い、ガーデン・サバーブ・スクールからは連絡がなかった。しかし向こうから電話が掛 かってくることがないことは分かっていた。英国人が「こちらから電話します。」と言って実際にかけてくることは殆どない、ということは長年の経験から知っていた。日本人のように親切心や義務感から返答してくることなどあまりない。欲しい物は自分から声 を上げて手に入れる。これは英国では鉄則だ。私は夏休みに入って学校が終わる2ヶ月ほど前にガーデン・サバーブに電話してみた。
「もしもし、昨年、空きがあったらお電話下さい。とお願いしました内田と申します。9月から3年生で編入したいのですが、空きは出たでしょうか?」
「確か、9月から3年生は空きがあったような気がします。少々お待ち下さい 。」との返事。オッ、もしかしたら入れるかも。。。と思って待っていた。
「あります。お名前と住所を教えてください。校長のミセスBが校内を案内いたします。」
ウェイティング リストの言及は全くなかったが、空きがあるというので約束した日時に行って校長のミセスBにお会いした。英国の小学校を見学する場合はどこも必ず校 長先生が出迎え案内してくれる。学校について知りたいことがある場合は、その際に質 問することが重要だ。校長は丁寧に答えてくれるはずだ。入学後も担任の教師を通じずに、直接校長と面接をして自分の子供が学校に馴染まないことを相談したり、進路を相談したりする事が頻繁に行われる。親が遠慮をしないで校長と連絡を密にすることは、 子供に対して迅速かつ最適な処置をとる上で重要である。ミセスBは背の高い明るい女性 で感じが良く、ガーデン・サバーブ・スクールの中を案内してくださり、長女を喜んで迎え てくれると約束してくださった。
こうしてYear3(3年生)でガーデン・サバーブ・スクールに長女は転校した。 1学年は3クラスで、1クラスは28人だった。男女半々ぐらいで、クラスの中に7人イラン人がいた。白人のイギリス人が6人、アフリカン・イングリッシュが6人、インド 人が4人、日本人は長女の他にはなくマレーシア人が1人、イタリア人が1人、アルバ ニア人が2人いた。人種のるつぼである北ロンドンの小学校らしい。この学校では、自分と違う宗教やあらゆる文化に対して寛容な態度をとるよう常日頃から子供達を指導し ていた。あらゆる人種のひいてはあらゆる宗教の(ユダヤ教、仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教等)子供達がいたので毎日の生活が円滑に行く為には当然の教育と言えるだろう。
長女は今でもあのガーデン・サバーブ・スクールに通っていた4年間が一番幸せだっ たという。家族5人が皆揃って広い家に住んでいたこともあるが、車で5分という通学時間の短さと近所のいい友達と楽しく遊ぶことが、実に子供にとって充実した生活だったのだろう。朝学校に行く前にピアノを30分毎朝練習してから出かけていったが、宿題も殆どなく、毎日のように学校の友達2、3人が我が家に遊びに来て、夕食が終わる時間 、6時半頃に帰って行った。また反対にその子達の家に遊びに行って夜ご飯を食べさせ てもらう事もよくあった。公文とバレエ、そしてピアノを習い、土曜日には日本人学校の補習校に通うなど、課外活動も充実していた上、上記のように学校の友達とも十分に遊ぶ時間があった公立学校は、長女が今ではノスタルジーを感じる憩いの場であった。(続く)
*学校区分の日英比較は大体下記のとおり。(英国日本婦人会発行『ロンドン暮らしのハンドブック』2017年5-8改訂版p。35参照)
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。