'Tosca' at the Royal Opera House
第一幕、聖アンドレア・デラ・ヴァレ教会のセット©︎ROH.PHOTO by Catherine Ashmore
プッチーニの『トスカ』は、1900年1月にローマで初演されたが、同年7月にはロンドンのロイヤルオペラハウス(ROH)で公演された。以来ROHでは毎年といっていいほど上演されるお馴染のレパートリーである。「Te Deum(テ・デウム)」や「E lucevan le stelle(星は光ぬ)」などの名曲は、007シリーズをはじめとした人気映画にも登場するので聞き覚えのある人達が多いと思うが、数多いオペラのうちでも最も知名度の高いものであろう。
舞台設定は原作であるヴィクトリアン・サルドゥの戯曲『トスカ』に基づいて、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がオーストリア軍を破った「マレンゴの戦い」直後の「1800年6月、17日から18日にかけてのローマ」とプッチーニが詳細に指定している。それ故、終始危険と絶望感が漂い、拷問、殺人、自殺などの暴力が連鎖するストーリーだ。プッチーニが舞台設定場所の音楽を忠実に表現する為の研究に余念がないことは良く知られているが、例を挙げると、第1幕の最後に歌われる聖歌「Te Deum(テ・デウム)」はローマで歌われている通りに作り、また同曲中に挿入されている荘厳な教会の鐘の音もバチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂の鐘の音色に限りなく似せているという。
ROHのこのプロダクションはジョナサン・ケント演出の2006年の作品で9度目のリバイバルであるが、長続きするのは飽きのこない舞台セットの果たす役割が大きいと思う。舞台デザインは、昨年11月に57歳という若さで惜しまれながらこの世を去った巨匠ポール・ブラウンによるものだ。第1幕の教会上を飛ぶ金の光に包まれた鳩の大きな翼や、第2幕のスカルピア男爵の公邸の部屋の中央で、右手に持つ剣がトスカを突き刺すかのように聳え立つ大天使ミカエルの彫像、そして第3幕のサンタンジェロ城の屋根を覆う大天使ミカエルの巨大な翼は、雄大で厳かな雰囲気を醸しだすと共に、トスカの悲劇的な運命は天によって最初から定められていることを象徴しているかに見える。
この日トスカを演じたカナダ人ソプラノのアドリアンヌ・ピエチョンカはスカルピア男爵を殺害する場面や、最後にカヴァラドッシが死んだ後、絶望して自殺する時の演技こそ巧みであった。しかしながら第一幕でカヴァラドッシに嫉妬する場面等、ところどころ演技が垢抜けないと思ったのは私だけであろうか。普段あまり悪役を演じないジェラルド・フィンリーは極悪非道なスカルピア男爵を初めて演じたが、前述の「Te Deum(テ・デウム)」で「トスカ、お前は私に神を忘れさせる!」と歌う時の形相などは鬼気迫るもので寒気がするほど迫力があった。この場面はスカルピア男爵がトスカを手に入れるためには手段を選ばないことを宣言するドラマ上重要なクライマックスである。クライマックスに向けての音楽の構築も秀逸で感動が押し寄せる場面だ。フィンリーの歌と演技はそのクライマックスを存分に盛り上げた。またカヴァラドッシを演じたジョセフ・カレヤは温和な感のある朗々とした歌声で「E lucevan le stelle(星は光ぬ)」を熱をこめて歌い上げ観客から拍手喝采を浴びた。
映画『007:慰めの報酬』(2008)では、『トスカ』の上演中に観客の中に潜んだ悪党達が次々席を立つ場面がある。それを見てタキシードに身を包んだ紳士が「『トスカ』は好き嫌いがあるね。」と言い放つ。これを言葉通りに取るか、「この素晴らしいオペラの途中で立つとは何て愚かなことか!」という皮肉に取るかはあなた次第だが、私は後者だと思う。なぜなら『トスカ』は心を酔わせる甘美な音楽と、終始ハラハラさせるドラマの展開が時代を超えてあまねく人々を惹きつける魅惑的なオペラなのだから。
トスカ役のアドリアンヌ・ピエエチェンカとスカルピア男爵役のジェラルド・フィンリー
©︎ROH.PHOTO by Catherine Ashmore
スカルピア男爵役のジェラルド・フィンリー©︎ROH.PHOTO by Catherine Ashmore
トスカ役のアドリアンヌ・ピエエチェンカとカヴァラドッシ役のジョセフ・カレヤ
©︎ROH.PHOTO by Catherine Ashmore
カヴァラドッシ役のジョセフ・カレヤ©︎ROH.PHOTO by Catherine Ashmore
トスカ役のアドリアンヌ・ピエエチェンカ©︎ROH.PHOTO by Catherine Ashmore
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。