「演じる起業家」〜世界を舞台に活躍する女優起業家の話〜 1
2016年当時
そして燃やした。
旦那に作ったアルバム、結婚式の時の写真、それから撮影の思い出の品を。
そして今、煙たくて居心地の悪い部屋でパソコンに向かい、胸を内を曝け出そうとしている。
旦那が映画の収録で忙しくしている中、私はそんなしょうもない事をしている。
つまり「無情」ってこのことか。
でもこれで結婚して子供が生まれる前の張り合いがあった日々が一酸化中毒で死んでくれたら本望だ。
それは苦しいながらも張り合いがあった人生。
自分を貫き、国を越え生きてきた。
人生最高潮であった。
旦那と結婚した当時、思うように「演じる」権利を謳歌しながら子供を腹の中で育て、そして映画を撮り終え、そして1ヶ月半後に出産。煌びやかな瞬間だった。
・・・だた、これが人生の分かれ道だったようだ。
そして今、その時の自分とは違う、牢屋の中の醜い自分へと変貌した。
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その昔、私は何の努力もなく子役として闊歩した。
母親が朝っぱらから寝ぼけ眼の私に服を着せ、撮影現場へ送り届け、覚えた記憶もない台詞を発し、そして天才子役と唱われた。
その当時は、言われたことをその通りにやらなければいけない事が理不尽で仕方がなかった。
つまりまだ人生が「思い通りになるものではない」という事を知らなかったのだ。
ミュージカル「アニー」の公演中、自分の不注意で犬のサンディーの綱を放してしまい、舞台の奈落に落としてしまった。その言い訳として「だって」という言葉を頻繁に使い、監督に怒鳴られた。
朝ドラで演技指導されている際にも、「ちゃんと芝居をしろ」という言葉に「うっさい、だまれ、やってんだよ」と言い返すのをグッとこらえた。
(こらえられたのが奇跡だと、今は思う。)
その後も願わなくても役は与えられ、親、先生、事務所の判断で学業は台本を読むことや人間関係でもカバーできるとされ、スタジオがある街から街へと転々とし、演じることをこなしていった。
そして15歳の時、その道を自ら閉ざし、そして高校進学後の身勝手な行動ゆえ、周囲からも見放され、その後は自分の価値を探るかのようにイギリス、アメリカに留学をし、その後は有名大学を点々としてみた。
なんら問題なく受験はこなしたが、実は勉強は大の苦手である。では何故大学は私という人間を好んで受け入れたのか。それは、賢く腹黒く生き、自分という人間に何が出来るのか模索した、それだけ。
つまり「理不尽な扱いを受ける自然をどうしたら人間の手から解放できるのか」を知るために、政治と生物と、そして声を挙げるための英語を学び、自分が問う問題がどれだけ意味があることなのかを大学受験の際に訴えたのだ。
同志社大学、カナダ留学を経て早稲田大学、そしてドイツの大学へ。
その時、日本の社会や人間のあり方が嫌いで自然環境をむさぶるように勉強した。
自然環境に関するボランティアには参加したし、それに関する資格もとった。
でも結局、自然環境は人間の欲望に食い尽くされる、そのうち人間を食い尽くす運命なのだと分かり、虚しくなって目と耳を閉じてしまった。
そんな時にドイツの映画祭で、若手の監督や役者と話す機会があった。そしてヨーロッパでは表現者が思うように表現できる権利が保証されているということも知った。みんな生き生きしていた。(少なくともそう見えた。)
もしかしたらもう一度「役者業」を突き詰められるかもしれないと思い、また同じ業界に足を踏み入れてしまった。つまり、初めて役者でいるという事を直視した。
さぁここからまた長い心身ともに苦しい日々が始まった。
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山下結穂/Yuho Yamashita
フィルニーズヨーロッパLTD代表取締役、起業家、クリエイティブコンサルタント、起業コンサルタント、女優、そして一児の母。英国ならびにヨーロッパにて活動中。 幼少期は演劇界にて活躍。ミュージカルアニーのアニー役、NHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」にてヒロインの子供時代を演じる。 高校時代のアメリア留学を経て同志社大学入学。中途退学後早稲田大学進学、ドイツ・フライブルグ大学留学後帰国せず卒業。自然環境学学士。 現在は英国を拠点にパインウッドフィルム作品やドイツ国営放送ドラマに出演しつつ、英国、そしてドイツにて起業。その豪華客船会社キュナードにてクリエイティブコンサルタントとして映像広告を制作、また複数国のビザを所有し起業した実績をもとに、世界で起業するためのノウハウを伝授する。 Futagami氏の想いに共鳴し、この組織が海外に進出することの手助けになることを願いつつIGIRISU-NETの代表として奮闘中。