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英国で教育しよう!長男の巻:パブリックスクール その2

長男の巻:パブリックスクール その2

長男の成績は急下降し始末書の数もたまってきたものの日本にいた私には何もできなかった。英国はあまりに遠かったのである。さらに日本では次男も学校から呼び出されたり、中学受験のために通っていた塾での成績が芳しくなかったり、また幼稚園に通い始めた長女や犬のことで毎日を忙しく過ごしていた。ロンドンに置いてきた長男の事は心配ではあったが電話で長男と話しても言葉数が少ないティーンエイジャーが何を必要としているのかがわからなかった。多分彼自身もわかっていなかったと思う。おそらく家庭の温かさが1番必要だったのではないだろうか。

そんな時、「神様は長男についていたんだ」と思うようなことが起きた。夫の会社から再びロンドン転勤の辞令が出たのだ。日本の大企業の人事異動は各家庭の事情などお構いなしで命令が下るので、このロンドン転勤の辞令が出たときは、びっくりした。長男のためにはよかったが、日本で中学受験の為に一生懸命努力していた次男にとっては少し厄介だった。日本での中学受験を断念せねばならなくなった。夫は「次男を日本に残していこう」と言ったが、私は家族が一緒にいることの方が大事だと思ったので犬も連れて再びロンドンに渡って行くことを決断した。そしてみんなでロンドンに引っ越した。次男を彼が以前通っていたノースブリッジハウスに戻したかったので、ロンドンの南西に位置するセントポールからは遠かったが、北西にあるゴールダーズグリーンの家を選んだ。こうして長男は2年間のセントポールの寮生活を終了し、我が家から学校に通うことになった。ゴールダーズグリーンからはセントポールまで通学バスが出ていたのでそれを利用することにした。長男は両親と兄弟と一緒に住めて嬉しかったこととは思うが、2年間も1人で寮に住んでいたので親や家族のことが最初は面倒に感じることもあったようで、慣れるまでには少し時間がかかった。

私達が再び戻ってきたときは長男はセントポールに入って3年目。それぞれのパブリックスクールには独自の学年の呼び方があるが、セントポールではForm 6(15歳から16歳)という学年に当たった。イギリス(スコットランド、ウェールズ、北アイルランドはそれぞれ教育システムが異なる。)の義務教育は16歳までで、その学年が終わるときにはGCSE (General Certificate of Secondary Education)という各教科の能力資格テストを受けることになっている。GCSEはもともとは義務教育を終え、更なる国家資格テストのAレベルや大学教育を受ける意志がない人々の国家資格として1988年に導入されたものである。現在はGCSEの成績は大学受験の入学審査の判断材料の1つになる重要な試験である。当初は上からA、B、C、D、E、F、Gの成績がつけられたが、1994年に最上グレードにA*が導入された。2018年からは成績が更に細区分され最高グレードを9とした9から1までの数字に成績表示が替えられた。これは年々厳しくなる競争の結果である。選べる教科は各学校によって異なる。セントポールでは当時、英語、英文学、数学、生物、化学、物理、フランス語の基本教科に加え、歴史、古代史、地理、神学、科学技術、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、また美術、音楽、ドラマなどの教科が選べた。各学校によって受けられる教科も科目数も異なるが、セントポールでは11科目のGCSE試験を受けられるように授業のスケジュールを組んであった。たいていはどの学校もGCSEのカリキュラムを各教科につき2年間かけて勉強し受験に備えるシステムを取っている。長男は実質的に2年間勉強をさぼっていたに等しかったので、GCSEのテストをForm 6の1年間で準備せざるを得ないことになった。

*学校区分の日英比較は大体下記のとおり。(英国日本婦人会発行『ロンドン暮らしのハンドブック』2017年5-8改訂版p。35参照)

Miho Uchida/内田美穂

聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。

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