英国で教育しよう!長男の巻:プレップ・スクール その4
帰任の可能性を全く考えていなかった私は帰国後の3人の子供のそれぞれの学校のことを考えるとずっしりと気が重かった。それでも下の二人は次男が8歳、長女が3歳とまだ小さかったので日本に帰ってからどうにかなると思った。問題はセントポールズに入りたかった長男だった。一年後のコモンエントランスで一定の成績を収めれば、英国で一、二を争うパブリックスクールに入れるというのに、ここで日本に帰って中学受験を一から始めるのは残念で仕方がなかった。長男自身もセントポールズに入りたくて一生懸命努力してきたので、本人の希望通り行かせてやりたかった。セントポールズは本来デイ・スクール(生徒が家から毎日学校に通う)であるが、ボーディング・ハウス(寮)も兼ね備えている。夫は赴任で来ている以上は帰るのが当然だと言ったが、私はセントポールズの寮長に、私たちが日本に帰っても長男が一人で英国に残ってこの学校に通うことが果たして可能なものかを独りで聞きに行った。当時の寮長は日本に住んでいた経験もあるという人で好印象を持った。
寮生は朝決まった時間に起きて朝食を済ませてから学校に行き、授業が終わってからはそれぞれクラブ活動をした後、決まった時間に宿題をし、就寝の時間は、学年別に決まっているという。シャワーは共同だがベッドと机と箪笥が備えられた6畳ぐらいの個室が与えられており、食事は3食ついている。アイロンや洗濯は自分ですることになるが、寮には看護婦もいるし、掃除人もいて、寮長が普段の生活や勉強の成果の報告をe-mailでしてくれるという。ただ、完全なボーディングスクールではないため、週末は寮を出なければならない。当時の寮生は一学年170人中6人ぐらいしかおらず、親が外国あるいは地方に住んでいるという子供たちで、ガーディアン(後見人)になる人を登録して週末はその後見人のところに帰るようだった。偶然にも当時私の弟がロンドンに住んでいたので彼に長男のガーディアンになってもらえないか聞いてみようと思った。寮長は親が日本にいても問題ないといった。そして私は悩みに悩んだ挙句、長男がまだ13歳だったにも拘わらず、家族が日本に帰国した後、彼を寮に置いていくという無謀な決断をしたのである。一つの賭けのようなものだった。後にその決断が人生最大の失敗だったと思い、長い間後悔することになろうとはその時はわからなかった。弟もガーディアンになることを了承してくれたので我が家は長男一人をロンドンに置いていくことになった。
夫は会社の命令ですぐに帰国しなければならなかったので、私は長男がコモンエントランスの試験をパスして寮に入るまでの間、子供たち3人とベルサイズパークに家を借りて住んだ。長男のプレップスクールの最後の年はセントポールズとウェストミンスタースクールを受験する子供だけのたった6人のクラスだった。クラスは和気藹々として長男は楽しそうだった。6人のうち、4人がウェストミンスタースクール志望でセントポールズ志望は長男を含む二人だった。ただもう一人はコモンエントランスで高得点を取ってシティから奨学金がもらえることになったためシティを選び、従って結局その年にノースブリッジハウスからセントポールズに行く子供は長男だけだった。
人生とは本当に面白い。全くの偶然から入ることになったノースブリッジハウスが、長男の人生に多大な影響を与えることになった。そして私にとっても胸襟を開いて話せる生涯の友達が出来たのはこのノースブリッジハウスで知り合った子供たちの両親たちであった。
*学校区分の日英比較は大体下記のとおり。(英国日本婦人会発行『ロンドン暮らしのハンドブック』2017年5-8改訂版p。35参照)
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。