ROHで『ニシダ島の天使』を世界初上演した際のマークーエルダー氏とジョイス・エル・コウリー氏
(c)ROH and Opera Rara, Photo by Russell Duncan
今年7月にオペラ・ララがロイヤル・オペラ・ハウスにて世界初上演した『ニシダ島の天使』のコンサートは記憶に新しいが、そのライブが録音され、2019年に発売される。オペラ・ララは、知る人ぞ知る、非営利的なオペラ・カンパニーで、1970年代初めにアメリカ人、パトリック・シュミッドとイギリス人、ドン・ホワイトの2人によって創設された。歴史の中に埋没した19世紀のオペラの傑作を発掘し、蘇らせることを使命としており、その過程における学術的・音楽的発見を通してオペラ文化発展に貢献していることで有名だ。現在オペラ・ララの音楽監督を務めるのは巨匠マーク・エルダー氏で、『ニシダ島の天使』のコンサートでも指揮者としての敏腕をふるった。主役シルビアを歌ったのはソプラノの世界的な大スター、ジョイス・エル・コウリー氏だ。今回、この二人にインタビューする機会を得た。
リハーサル中のマーク・エルダー氏
(c)ROH and Opera Rara, Photo by Russell Duncan
サー・マーク・エルダー
(Sir Mark Elder)
Profile
イギリスを代表する指揮者。1979年から1993年までイングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)の音楽監督を務め、ENOの最盛期を築く。その間、優れた演劇、オペラに与えられるイギリスで最も権威のあるといわれているオリヴィエ賞を受賞。更にバーミンガム市交響楽団(1992-1995)や、BBC交響楽団(1982-1985)の首席客演指揮者を勤める。またロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督(1989-1994)を務めた後1999年よりハレ管弦楽団の音楽監督。2008年にクラシック音楽界への貢献が認められエリザベス女王よりナイト爵を叙任される。
オペラ・ララは発足以来50ほどの再生レコーディング作品を残しており、エルダー氏はこの唯一無二の実績に誇りを持っている。
「埋もれたオペラを復活し、それが現代の世界の人々の生活に溶け込んでいくのは素晴らしいことです。オペラの再生には相当の費用がかかりますがオペラ・ララは計画的に事業を進めています。我々の活動に賛同してくれる人たちから寄付金を集めて予算を立て、次年度に何をするかを決めます。そして、忘れ去られたオペラ、それを劇場では聴く事が出来ないことを人々は知っているので僕達が作ったレコーディングを求めるのです。どのオペラをいつ再生するかは、オペラのレパートリーに精通しているチームメンバーのロジャー・パーカーと一緒に決めます。例えば、彼は何年も前にドニゼッティの『レ・マルティー』を再生しないといけないと僕に言いました。人々は『レ・マルティー』よりも、同じ話の内容の『ポリウト』の方が出来のいいオペラだと思っているけれども、僕は『レ・マルティー』の方が優れたオペラだと思うからという理由です。僕達は『レ・マルティー』を復活させることによってそれを証明できました。」
『ニシダ島の天使』は、世界初上演であった。今まで演じられたことのないオペラをオーケストラや歌手達と一緒に創り上げるに当たって、エルダー氏の心を砕いた点を聞いてみた。
「一番難しい点は、オペラの特質を捉え、みんなに伝えることでした。『ニシダ島の天使』はドニゼッティが同時期にパリの観客のために作曲した『レ・マルティー』や『ドン・セバスチャン』などの壮大なグランド・オペラとは異なり、スケールも小さいオペラです。内容的には泣いたり笑ったりという人々の日常の生活に出てくる可笑しさを含んでいます。ロマンチックな悲劇でありながらもシェークスピア戯曲の『十二夜』に出てくるマルヴォーリオみたいな道化のような役が出てくるセミセリアという分野のオペラです。コーラスも小規模で、登場人物も5人しかいません。こじんまりとしていて観客と密接に関わり、心に優しく響くようなオペラです。それをオーケストラや歌手達に最初に伝えることが成功の鍵でしたし、難しい点でした。しかし経験豊かなドニゼッティが作曲したこの見事なオペラの美しさを皆で発見する事ができたときはこの上ない喜びでした。歌手達にそれぞれの役の歌の一番いいところを把握させ、激情的に歌ってもらう事ができたときも感動しました」
『ニシダ島の天使』の魅力について尋ねると、間髪入れずに答えてくれた。
「『ニシダ島の天使』は、コロラトゥーラなどの歌手の技量を繰り返して見せられるのがきらいなパリの観客を喜ばせる為にコロラトゥーラ等を除き、その代わりにキャラクターに合せたレシタティーヴォを挿入しています。生き生きとしていてバラエティに富んだこのレシタティーヴォの数々がこのオペラの一番いいところだと私は思っています。速いペースで、シーンが次々に変わってクライマックスに向かって盛り上がりをみせるところも好きです。5人の役もそれぞれ歌手にとって歌いがいがあり、例えば王の役はパッションもあり、権威もあってバリトン歌手にとってはやりがいがあるでしょう。『ニシダ島の天使』は1839年に書かれましたが、ドニゼッティは1849年に死ぬまでの最後の10年間で、あらゆる声域の歌手に合った曲を作るのが上手になりました」
また『ニシダ島の天使』の3分の1が、同作曲家の『ラ・ファヴォリート』に使われているということなので『ラ・ファヴォリート』に出てくる曲が認識できるものなのかを尋ねてみた。
「曲の(長短の)調が違っているし同じ曲が出てくる際のドラマの場面が違うし、また順番も異なるので『ラ・ファヴォリート』をよくよく知っている人でなければ同じ曲だとは分からないと思います。何より、ドニゼッティは『ニシダ島の天使』のリブレットのためにこれらの曲を作ったのです。だから人々は、あーこういう背景から『ラ・ファヴォリート』の曲は出てきているんだと、新たな発見をすることでしょう」
コンサート形式の公演を成功させ、レコーディング発売を控えている『ニシダ島の天使』であるが、エルダー氏はその「こじんまりとしたオペラの性格からグレンジ・パーク・オペラやグラインドボーン等の小規模のイギリスのカントリー・ハウス・オペラでの公演が適している」と語ってくれた。エルダー氏の実行力に導かれ実現する日も近いのではないだろうか。オペラ・ララの使命に情熱と信念と誇りを持ち誰もがやったことのない新しい試みを1つずつ達成していくエルダー氏のみなぎる力に元気づけられたインタビューだった。
Miho Uchida/内田美穂
聖心女子大学卒業後外資系銀行勤務を経て渡英、二男一女を育てる傍らオペラ学を専攻、マンチェスター大学で学士号取得。その後UCLにてオペラにおけるオリエンタリズムを研究し修士号取得。ロンドン外国記者協会会員(London Foreign Press Association)。ロンドン在住。ACT4をはじめ、日本の雑誌にて執筆中。